こんばんは。青島です。

久しぶりにフェイスブックに記事というか駄文を書きました。

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婚活パーティーに参加したいの巻  ←こちらをクリック

婚活パーティーなんて言葉は昔はありませんでしたね(←私も年をとったなぁ)。

私も生まれ変わったら、婚活パーティーに行ってみたいと思います。

恥も外聞もプライドもない、素直な心を持って楽しんで参加したいと思います。

もう現世では行けないな。

来世のささやかな夢(笑)。

ところで、人は結婚を決めるとき、

相手のことをどこまで知って一緒になるのでしょうか。

実は知ったつもりになっただけで、

何も知らないまま結婚しているのではないのではないか。

ふと、そんなことを思いました。

そもそも結婚後の人生の方が長いではないですか。

それに比べたら交際期間なんて微々たるものです。

結婚前に相手のことをどれだけわかったつもりになっても、

ほとんどそれは幻想に近い、誤差のようなものかもしれません(何も知らないのと同じ)。

現に、離婚調停申立書の「申立の動機」欄には、「性格があわない」なんて書いてあったりします。

離婚する人に対して、性格があわないなんて、結婚する前からわかってたんじゃないの?

と外野から言うのは簡単です。

当人だって、婚姻前から薄々は感じていたということはあるでしょう。

でも、当時としては、やってみないと分からない、なんとかなるさなんて思って結婚に踏み切ったりするのです。

それがうまくやっていける場合もある。

そうでない場合もあるというだけだと思うのです。

自分のことだってよくわからない。

昔の自分は、今の自分の成長ぶり(成長しなさぶり)を想像できていましたか?

なかなかできないものですよね。

ましてや他人のことなんて。


翻って、家族のことを考えてみるとさらに愕然としてしまいます。

自分は家族のことをどこまでわかってあげられているんだろうか。

お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、お姉さん、

おじさん、おばさん、それぞれみんなの今までの人生の喜び、楽しみ、うれしさ、悔しさ、苦しさ、

希望、絶望、失望、執念、怨念、情熱、衝撃、困惑、達観、

私はそれをどこまでわかっていてあげることができていたのだろうかと。



弁護士業(にかぎらず実はどんな職業も)は突き詰めると、どれだけ人に寄り添えるかが勝負です。

そして人に寄り添えるためには、人の心を知らなければなりません。

人のことを知ろうとする営みはきりがないのですが、

皆さんのおかげで、さまざまな経験を積ませていただき、

日々こんなことを考えながら、少しずつですが成長させていただいております。

いつも本当にありがとうございます。

話が飛躍してますか。

ブログ間隔があくと、感覚が鈍りますね(←ダジャレはやめて)。

前回ブログ(雑誌記事、取材の話)の続きは、また今度。

ではでは。